国指定史跡徳丹城跡

(矢巾町)
歴史・文化

律令国家最後の城柵

国指定史跡徳丹城跡は、矢巾を代表する史跡です。徳丹城は平安時代初期の弘仁3年~4年(812~813)頃、時の征夷将軍・文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)によって造営された、律令国家最後の城柵。蝦夷平定や志波地方統治の拠点として坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が志波城(盛岡市)を建てましたが、その城柵がしばしば水害を被るため、場所を移すことになり、徳丹城が建てられました。
 地上に当時のものは残っておりませんが、発掘調査によって、外回りの区画施設(外郭)の1辺が約355メートルの規模であること、丸太材木塀や築地大垣(ついじおおがき)によって方形に区画され、各辺の中央には門、兵士が見張りをする櫓(やぐら)は四方に推定17棟、遺跡中央には政庁が配置されていたことなどがわかっています。徳丹神社があるあたりは、正門の南門があった場所です。
 また、2006年6月の発掘調査で、徳丹城の井戸跡からほぼ完形品の木製兜が出土しました。黒漆が塗布された冑を井戸水を汲む水おけに転用していたといわれています。発掘当初は徳丹城と同年代と思われましたが、放射性炭素年代測定法により、兜の素材のトチノキは7世紀前半、漆は7世紀後半と判定され、古墳時代から中世までの武具史の空白を埋める貴重な資料となっています。
 現在、史跡の一部は芝生の公園としていこいの場になっており、桜の季節には徳丹城まつりが催されます。徳丹城跡から発掘された遺物は、園内の歴史民俗資料館でみることができます。

INFORMATION

住 所 〒028-3603 矢巾町大字西徳田地内
電話番号 019-611-2860 (矢巾町文化スポーツ課文化財係)

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