鹿角街道
(鹿角市)
歴史・文化

金や銅を運ぶ牛や馬、人が行き交う街道
盛岡城下から荒屋、田山を経て鹿角、青森の田子・三戸へ至る道を「鹿角街道」といいます。別名「流霞道」と呼ばれました。
慶長初期(17世紀初頭)以降、鹿角の金山開発をきっかけに整備され、その後も尾去沢鉱山と城下を結ぶ重要な道となりました。明治20年(1887)ころ、街道としての役割を終えましたが、街道沿いには遺跡や史跡が数多くのこっています。
INFORMATION
住 所 | 秋田県鹿角市 |
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MAP情報
盛岡城下から荒屋、田山を経て鹿角、青森の田子・三戸へ至る道を「鹿角街道」といいます。別名「流霞道」と呼ばれました。
慶長初期(17世紀初頭)以降、鹿角の金山開発をきっかけに整備され、その後も尾去沢鉱山と城下を結ぶ重要な道となりました。明治20年(1887)ころ、街道としての役割を終えましたが、街道沿いには遺跡や史跡が数多くのこっています。
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住 所 | 秋田県鹿角市 |
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