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「銭形平次」の生みの親、野村胡堂の人となりを知る
捕物帳作品の傑作『銭形平次捕物控』の原作者・野村胡堂 ( 本名・長一 ) は、明治15 ( 1882 ) 年10月15日、紫波郡大巻村 ( 現・紫波町 ) に生まれました。盛岡中学卒業後、東京帝国大学法科に入学しましたが、卒業を目前にして父の急遽により学費が払えず退学。明治45 ( 1912 ) 年5月、報知新聞に入社し記者生活を始めました。その後、「あらえびす」のペンネームで報知新聞にクラシック音楽の紹介記事を掲載し、大きな反響を得ました。代表作である『銭形平次捕物控』が文藝春秋『オール讀物』に掲載されたのが昭和6 ( 1931 ) 年、以後27年間で全383編を書き続けました。
「野村胡堂・あらえびす記念館」は、野村胡堂の生い立ちや業績、愛用品などを展示。また、教育助成事業への貢献のために、胡堂が晩年に設立した野村学芸財団についても紹介しています。
「あらえびすホール」では、胡堂が集めたSPレコードを蓄音機で聴く「レコードコンサート」や、様々なイベントも行っています。
作って食べる楽しさ、収穫をする楽しさを満喫
紫波町は、リンゴやブドウ、ラフランスなどフルーツの栽培が盛んなまち。「紫波フルーツパーク」はそんな紫波町の特色を生かした観光農園です。ブドウの収穫体験ができるほか、体験工房もあります。工房では、石窯ピザや手打ちそば、ジャムやソーセージ作りを体験できます。作った後は、みんなで試食会。
また、ワイナリーもあり、紫波フルーツパークで育てられたブドウを使ったワイン醸造が行われています。工場見学をした後は、売店でワインの試飲をすることもできます。
ここは日本のシャンパーニュ地方?
フルーツの里・紫波町の佐比内にある観光ぶどう園。山々が連なり、緑の色が深く、ブドウ畑が広がる大自然の真ん中にあり、まるでフランスのシャンパーニュ地方の風景を彷彿とさせます。ここで作られるブドウは、低農薬栽培で作られており、安心して食べることができます。
8月下旬になると、フルーツ好きにはたまらない「ブドウ狩り」の季節の到来。前日までに予約をして、いざブドウ狩りへ。スタッフの説明の後、おいしそうな房を選んではさみでパチン。
「紫波観光ぶどう園」は、食べ物の持ち込みが自由なので、バーベキューを楽しむファミリーの姿を見かけることも。デザートには採れたてのブドウなんてステキ。搾りたての「ブドウジュース」も販売されており、フレッシュな味を楽しむことができます。
子どもから大人まで楽しめるロハス・スポット
明治24年 ( 1891 ) 、日本最大級の民間総合農場として創業した「小岩井農場」。自然豊かな地で酪農などの事業を行い、農場の一部を観光まきば園として開放しています。「まきば園」では広い芝生の上で転げ回ったり、アーチェリーやトロ馬車などのアトラクションを楽しんだりできます。思いっきり遊んだ後は、新鮮な生乳で作られたソフトクリームやジェラードを食べながら一休み。レストランでは、ジンギスカンや小岩井農場産卵を使ったオムライスが味わえます。
「まきば園」の隣接地には100年の歴史を誇る上丸牛舎があります。ここでは実際に乳牛が飼育されています。もともと原野だったこの地は、いまも自然が残っています。春にザゼンソウやミズバショウが咲き、自然を感じるウオーキングツアーが企画されます。季節ごとにスペシャルウオークが開催されます。
宮沢賢治は盛岡中学のころから幾度となく、小岩井農場を訪れていました。長編詩「小岩井農場」では、「新鮮な奇蹟」と呼び「聖地」と讃えました。
ここは駄菓子屋さん? それとも?
雫石商店街「よしゃれ通り」にある駄菓子屋兼イベントスペース。昭和初期にたてられた古民家を利用していて、手前の店舗で駄菓子やくじ付菓子などを売っています。奥へいくと、囲炉裏が切ってある昔ながらの民家になっていて、ちょっとした休憩所になっています。休日になると、近所の子ども達がやってきて、読書をしたり、ゲームをしたりしていることも。また、イベントスペースにもなっていて、「たまや昔語り店」として各種カードゲーム大会の開催をしたり、駄菓子屋食堂「たまりば」は楽しい飲み物満載で週末の金、土曜日に夜営業を行っています。
食べて体験して自然のすばらしさを体感!
「道の駅くずまき高原」の近く。子牛やヒツジの世話、シイタケ栽培、アイスクリームづくりなど自然に触れるさまざまな体験ができる高原牧場です。体験プログラムは、家族旅行などで気軽に楽しめるものから地域のこども会行事や遠足、修学旅行など、酪農体験を軸とした交流や学習を目的としたものまで、多彩に用意されています。また、くずまき高原牧場は、クリーンエネルギーをはじめ、食料や環境などの問題に取り組んでおり、観光だけではなく、町起こしや地域完全循環型食料生産基地を目指す牧場として、社会的にも注目されています。牧場視察プランもあるのでチェックしてみてください。
広大な敷地内にある「ミルクハウスくずまき」「パンハウスくずまき」「チーズハウスくずまき」では、ここでとれた新鮮なミルクや地元の食材をつかった製品の製造や販売をしています。おみやげにおススメです。
また、葛巻町の東側、岩泉町との町境に広がる袖山高原にある「レストハウス袖山高原」でも、くずまき高原牧場で生産された牛肉等を食材にした本格的焼肉を食べることができます。
牧場と高原を満喫するベースキャンプ
くずまき高原牧場内にあるレストラン・宿泊施設「くずまき交流館プラトー」。泊まりながら牧場体験を思いっきり満喫するもよし、ここをベースに平庭高原や袖山高原などへ足をのばすもよし。地産のおいしい料理を味わう旅なら、館内のレストランへ。牧場で生産される新鮮な牛乳や牛肉、ラム肉を使ったメニューが味わえます。入浴施設“楽酪の湯”は、弱アルカリ・ミネラル泉の人工温泉。美容と健康に効果があります。
また、宿泊だけでなく、会議やパーティなどに利用できるホールなども用意。家族やグループで気軽に自由に泊まるなら、敷地内にあるコテージ村「シュクランハウス」もおススメです。
盛岡の歴史と伝説を訪ねる散歩道
本町通から北側にある名須川町界隈は、寺院や神社が並ぶ寺のまち。藩政時代、領内の由緒ある寺を二つの地域へ移しました。それが、現在の北山周辺と大慈寺周辺です。
北山の寺町通りは、かつて沿岸へ通じる街道への要衝の地。寺町通りの散策は、岩手県交通の盛岡都市循環バス「でんでんむし」の本町一丁目から。おかんの墓がある「大泉寺」、岩手の地名の由来の伝説が残る「三ツ石神社」、モリオカシダレで有名な「龍谷寺」、ムカデ姫の墓がある「光台寺」など、歴史や不思議な伝説を感じながら歩くことができます。そして、最後は「報恩寺」へ。
「報恩寺」は現在も修行僧がいる禅寺。かの宮沢賢治もここで坐禅を組んだことがあります。風格が漂う本堂をお参りした後は、羅漢堂で「五百羅漢」を拝観。499体ある羅漢像は1体とも同じものがなく、なかにはマルコ・ポーロとフビライといわれている像もあります。
美しい石畳、南部鉄器の街灯、ケヤキの大木が彩るこの通りは「日本の道100選」にも選ばれています。
橋を渡るたびに表情がかわるまち
この界隈の街歩きは、盛岡周辺の観光情報が集まる「プラザおでって」からはじめよう。目の前には、明治44年 ( 1911 ) に辰野金吾と葛西萬司の設計で建てられた「岩手銀行 ( 旧盛岡銀行 ) 旧本店本館」。赤煉瓦の美しい建物で、2012年8月まで岩手銀行中ノ橋支店として営業していました。そこから北側が紺屋町界隈。「盛岡信用金庫」、テレビドラマ「どんど晴れ」にも登場した「ござ九」、「紺屋町番屋」など、江戸時代から続く商家、明治時代の洋風建築などが並んでいます。南部せんべいの老舗「白沢せんべい店」や紫根・茜染の「草紫堂」もこの界隈。さらに「上の橋」まで川沿いを歩くのもおすすめ。「深沢紅子野の花美術館」で絵画を鑑賞したり、喫茶ルームでお茶をしながら、中津川沿いを眺めたりするものいい。「上の橋」は、江戸時代の擬宝珠が残る橋。ちょっと歩けば黒漆喰の壁が特徴的な「保存建造物 旧井弥商店」があります。
中津川は冬には鮭が遡上する清流。春から秋にかけては緑が美しく、心地よい風が川をわたり、散策もたのしい界隈です。
釜石街道へ続く要衝の地
藩政時代、由緒ある寺院や神社を城下に集め、2つの寺町がつくられました。北の北山寺院群に対して、南にあったのが「寺の下寺院群」で、「大慈寺」を中心に大小の寺院が建ち並ぶ。「大慈寺」は、原敬の菩提寺として知られるが、中国風の山門が目を引く。隣接する鉈屋町は、城下町から釜石街道へ抜ける惣門があり、商業の町でした。
緩やかなS字カーブを描く通りの両側に「盛岡町家」と呼ばれる建物が並んでいます。通りの中ほどに「平成の名水百選」に選ばれた井戸「大慈清水」があります。今でも生活用水として使用されていて、今でも地元の人たちの井戸端会議場。ひな壇状で上から1番井戸は飲み水、2番は米研ぎ水、3番は洗い物、4番は足洗い水と決められています。井戸の隣には「大慈清水お休み処」があり、中を見学することもできます。